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ユニバーシティ・アイデンティティ



校章・花・ロゴマーク

校章

校章

本学の校章は、マーガレットの花を八咫(やた)の鏡で囲んでいるというデザインになっています。このデザインは、1921年に前身である帝国女子専門学校の副学長であった野口保興が考案したものがベースとなっています。
マーガレットの花ことばは「希望に満ち溢れる清楚な乙女心」。創立当時から受け継がれている「清楚でやさしい女性らしさ、知性に裏づけられた勇気と強さを併せ持つ自立した女性の育成」という精神が校章にもデザインされています。

本学の花"マーガレット"

新緑の頃、青く澄みわたる空に向かい、清楚な花を咲かせるマーガレット。白く可憐な姿ながら、凛とした強さを感じさせる花です。
20世紀が明けようとする1900年、相模女子大学の前身である日本女学校が誕生。その後、帝国女子専門学校が開設されその校章に用いられた花が、マーガレットでした。

ロゴマーク

ロゴマーク

指定色:C100 M90 K10 PANTONE 2755

ロゴマーク

2010年に創立110周年を迎え、それを機に新しいロゴマークを制定しました。
校章のモチーフ「八咫の鏡」(やたのかがみ)を継承し、その中に相模女子大学の頭文字SWUが花のように配置されています。
このロゴマークは、アートディレクターとして著名な活動を行い、本学の客員教授も務めていた葛西薫氏の手によるものです。

logotype:Japanese

日本語ロゴ

日本語ロゴ


mascot

マスコット

指定色:M10 Y100 PANTONE 116

相模女子大学のロゴマーク・スローガンは商標登録されています。
ロゴマーク・スローガンを使用する場合には、学園事務部総務課(代表:042-742-1411)までご連絡下さい。

アートディレクター 葛西 薫 氏

葛西 薫 氏

1949年北海道札幌生まれ。
サントリーウーロン茶、とらや東京ミッドタウン店、とらや工房のアートディレクションなど活動は多岐にわたる。
朝日広告賞、東京ADCグランプリ、毎日デザイン賞、講談社出版文化賞ブックデザイン賞、ほか受賞多数。

関連リンク:SUN-AD COMPANY LIMITED

葛西 薫 氏の作品

虎屋 とらや東京ミッドタウン店空間ディスプレイ 2007

サントリーウーロン茶 2006

スローガン

見つめるひとになる。見つける人になる。

指定書体:フォントワークス 筑紫明朝 ファミリー
2010年制定。コピーライターの前田知巳氏が手がけました。
相模女子大学のロゴマーク・スローガンは商標登録されています。
ロゴマーク・スローガンを使用する場合には、学園事務部総務課(代表:042-742-1411)までご連絡下さい。

コピーライター 前田知巳 氏

前田知巳 氏

コピーライター、クリエイティブディレクター。

朝日広告賞最高賞、毎日広告デザイン賞最高賞、TCC(東京コピーライターズクラブ)最高賞、ADC(東京アートディレクターズクラブ)賞、JR東日本ポスターグランプリなど受賞多数。

前田 知巳 氏の作品

作品画像

コンセプトブック

新しいロゴマーク・スローガンを制定を機に、みなさんにより広く知っていただくため、コンセプトブックを制作しました。是非ご覧下さい。

PDFファイルをご覧になるためには、AdobeReader® が必要です。パソコンにインストールされていない方は右のアイコンをクリックしてダウンロードしてください。

校歌

相模女子大学の校歌

校歌

クリックすると校歌が視聴できます。

解説
本学の校歌「相模女子大学の歌」は、金田一京助作詞、高木東六作曲によるものです。
「さねさし相模の小野の…」の「さねさし」は「相模」にかかる枕詞です。枕詞は古代の歌謡・和歌で用いられた言葉で、その語自体にあまり意味はなく、あとに続く言葉を導き、歌の調子を整える役割だといわれており、「さねさし」も意味は不明です。
さて、「さねさし相模の小野」というと、古代の歌謡では「古事記」に見られる次の歌が有名です。
さねさし相模の小野に燃ゆる火の火中(ほなか)に立ちて問ひし君はも
この歌は、ヤマトタケルノミコト(倭建命)が東国征服に向かった際、同行した妻のオトタチバナヒメノミコト(弟橘媛命)が歌ったものです。ヤマトタケルは相模の国の野原で敵に火攻めにあってピンチに陥りますが、草薙の剣で草を切り払い難を逃れました。そしてその後、船で海を渡ろうとすると、途中で海神が海を荒れさせて進めなくなります。そのとき、オトタチバナヒメは自らの命を海神に捧げようと、海に身を投げ、そして、夫のヤマトタケルに向かってこの歌を歌ったのです。彼女の死によって海は静まり、ヤマトタケル一行は無事に海を渡ることができました。
ですから、「相模女子大学の歌」の2番の「いにしえのやまとおみな(古代の日本女性)」とは、このオトタチバナヒメのことを指していると考えてよいでしょう。愛する夫のために犠牲となるというのは、ある意味では古い美徳かもしれませんが、しかし今なお感動的な、ひとりの女性の生き方です。「相模女子大学の歌」は、この古代の女性の自己犠牲の生き方を心に刻みつつ、一方で「新しい時世の道」を「朝夕の心の掟」とせよ、と告げています。「新しい時世の道」とは、民主主義、男女平等、平和主義という戦後日本が掲げた理念と考えられます(「相模女子大学の歌」は1964年成立)。古代の女性の生き方をかえりみつつ、新しい時代の女性としての生き方を確立していこう、という強い思いがこめられているようです。
3番にある「操守(そうしゅ)」という言葉は、志を持ち続けるといった意味です。希望を持ち、変わらぬ志を抱いていれば、高い空をさわやかにふきぬけて行く風のように、すがすがしい人生を歩んでゆくことができる。そう「相模女子大学の歌」は「たからかに」歌っています。

帝國女子専門學校・日本高等女學校・静修女學校の校歌

帝國女子専門學校・日本高等女學校・静修女學校の校歌

解説
1935(昭和10)年11月3日の明治節(文化の日)に、帝国女子専門学校・日本高等女学校・静修女学校の3校の校歌が制定、発表された。
校歌制定については前年1934(昭和9)年に歌詞の懸賞募集があったが、入選者はなく、2位が日本高等女学校の泉清三郎氏、3位が翠葉会員の鈴木貞子・大熊つる氏であった。改めて作詞を葛原𦱳、作曲を信時潔に依頼したものである。
歌詞は3番から成り、1番が日本高等女学校、2番が静修女学校、3番が帝国女子専門学校を擬したものであった。

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