同窓会の紹介
歴史と改革
現在の相模女子大学の母体である帝国女子専門学校の第一回卒業生(大正12年)が同窓会を結成し、その後、平山洋三郎校長により「翠葉会」と名づけられて以来、母校と共に歩みを続けてきました。
しかし、昭和20年4月に戦火にあい校舎、翠葉会経営の学寮を焼失。「校舎は焼けても学校は焼けない。」を合言葉に、同窓生が一致団結し、母校再建をはかり、昭和21年3月31日、4度目の移転で、この相模原の地を本拠地としました。同24年4月1日の教育制度の改革により相模女子大学となり、「翠葉会」も「相模女子大学翠葉会」と改めました。
しかし、昭和20年4月に戦火にあい校舎、翠葉会経営の学寮を焼失。「校舎は焼けても学校は焼けない。」を合言葉に、同窓生が一致団結し、母校再建をはかり、昭和21年3月31日、4度目の移転で、この相模原の地を本拠地としました。同24年4月1日の教育制度の改革により相模女子大学となり、「翠葉会」も「相模女子大学翠葉会」と改めました。
その後、平成18年度総会に於いて名称変更が承認され「相模女子大学同窓会(翠葉会)」となりました。
現在、「相模女子大学同窓会(翠葉会)」は、帝国女子専門学校卒業生を含め、約63,000人の同窓生による大きな組織に発展してまいりました。昭和54年6月には、卒業生の結集による「翠葉会館」が大学の敷地内に完成しました。幼稚部に隣接し、講堂、ロビー、会議室、実習室、和室、茶室など在校生、卒業生が利用しやすい設備設計がなされ、会館内には「相模女子大学同窓会(翠葉会)」運営に関する事務全般を担当する事務局があります。
翠葉会館内の写真
資料室
和室
講堂