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―女性の活躍を支援し、地域とともに発展する「開かれた学園」へ―
 相模女子大学は、1900(明治33)年創立の日本女学校を起点として、2025(令和7)年に創立125周年を迎えます。創設者・西澤之助の、女性にも男性と遜色ない高等教育が必要であるとの先駆的な信念は、1909(明治42)年に開設された帝国女子専門学校(「専門学校令」に基づく、当時の女子教育の最高機関)へと発展し、我が国の女子教育に多大な貢献を果たしました。1945(昭和20)年に帝国女子専門学校は戦災で校舎を焼失しましたが、戦後、都内から相模原の地に移転し、新しい憲法や学校制度のもと、1949(昭和24)年に相模女子大学となり、その後同じキャンパス内に幼稚園・小学校・中学校・高等学校等を設置し、現在では認定こども園幼稚部・小学部・中学部・高等部・短期大学部・大学(3学部)・大学院・専門職大学院を擁する総合学園となりました。

 いま、日本の社会は少子高齢化が進み、またグローバル化の一方で多極化する世界情勢、対応が追い付かないレベルで発達するIT技術等、極めて先行きの不透明な時代に入っています。教育機関のあり方も、そうしたなかで、今後どうあるべきなのかが問われている状況です。
 こうした現況と、これまでの本学園の歩みを踏まえ、私どもは創立125周年を一つの節目として、今後へ向けた新たな展望を示す時だと考えました。社会や世界がどう変化しようと、「教育」の意義やその重要性は、増すことこそあれ、決して失われることはありません。民主的で自由な社会、平和な国家と国際協調、その基盤の上に立つ真の豊かさの実現は、広くそして深い「教育」によってのみ可能だからです。乳幼児教育から小学校・中学校・高等学校そして大学・大学院までの教育を担う私たちの学園は、今後とも女子教育を基礎として社会の発展に寄与し、貢献していく所存です。そうした決意のもと、学園の今後へ向けた展望を示す創立125周年記念事業の基本理念を次のように定めました。

女性の活躍を支援し、地域とともに発展する「開かれた学園」へ
 戦後、男女平等が制度的には定着したものの、実際には未だ女性の力が十分に生かされていない日本社会において、女子大学は単に机上の講義を提供するだけではなく、女性の多様な活躍の場面を具体的に提示することが求められます。そのためには大学や学園が「閉ざされた学びの場」ではなく、地域社会に代表される現実・現場に触れる「開かれた学びの場」であることが必要と考えます。それは同時に、地域社会の活性化に寄与する人材育成等を通して、学校・学園全体が地域のなかの存在として活動し、地域とともに在ることを意味します。本学園は戦後この相模原の地に移転して、80年近くをこの地とともに過ごし、発展してきました。そのことが本学園の「学びの場」としての根幹をなしていると言っても過言ではありません。すなわち女性の活躍を幅広く支援することと、地域社会とともに発展することは一つのビジョンだということになります。この創立125周年記念事業の趣意をご理解いただき、共感していただければ幸いです。

 さて、こうしたコンセプトのもと、私どもは125周年を記念したいくつかの事業を実施する計画を進めています。主な事業は以下の通りです。

  1.学園キャンパス整備事業
    正門東側(茜館・フランス庭園)を整備し、地域との交流スペースとする。
 
  2.周年誌編纂・学園アーカイブ室設置事業
    写真を中心とした125年誌の編纂・発行と、学園の歴史を保存・公開するための新たな組織として
    学園アーカイブ室を設置する。
 
  3.式典・広報事業
    125周年記念式典の実施と、本学125周年を広くアピールする広報活動を行う。

このうち、特に学園キャンパス整備事業につきまして、学園の入り口にあたる部分をリニューアルし、地域の方々との交流を密にし、ともに学びあうことのできるスペースおよび施設の建設を計画していますが、昨今の諸経費の高騰により、時の経過とともに予定の経費を上回る現状に苦慮しております。
どうか本学園の目指す教育理念にご理解を賜り、学園のさらなる発展と本学園とともに歩んできた地域の活性化のために、多くの皆さまに資金面でのご助力をいただけますよう、切にお願い申し上げる次第です。

学校法人相模女子大学理事長 風間 誠史
相模女子大学・相模女子大学短期大学部学長 田畑 雅英
相模女子大学中学部・高等部校長 武石 輝久
相模女子大学小学部校長 小泉 清裕
認定こども園相模女子大学幼稚部園長 角田 雅昭

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