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第4回:カースト制と不可触民

1947429日、インド制憲議会は、「いかなる形における不可触民制も廃止し、不可触民への差別は罪とみなす」という宣言を行った。全世界の新聞はこぞって歓迎した。ニューヨーク・タイムは「インドの永年の宿痾を取り除こうとするこの行為は、我が国の奴隷制廃止、ロシアの農奴解放に匹敵するものであると称賛した。そして、これを独立の父、マハトマ・ガンディーの尽力であり、唯一の不可触民解放者であるかのように、歴史を捏造したのである。

翻って、日本の世界史で教えられている内容を思い出してみよう。(もっとも、最近は世界史を履修しない高校生もいるらしいし、戦争責任を回避するかのように第二次世界大戦まで授業をしないところが圧倒的らしい。困ったものである。)「カースト制度」に対する記述の多くは、ポルトガル語で色を意味するカストに由来し、宗教を司る者としての「バラモン」、王族の「クシャトリア」、農業、職人の「ヴァイシャ」、そして隷民の「シュードラ」の4つの層から成り立っている身分階級制度が根強く残っているということであろうか。いわゆる、四姓制度=ヴァルナである。バラモンとクシャトリアそしてヴァイシャの一部が上位カースト(Upper Class)、残りのヴァイシャとシュードラが後進カースト(Lower Class)を形成する。後進カーストは、インド憲法上「社会的および教育的に後進な諸階層」と規定され、その他の後進諸階層OBCOther Backward Classes)とも呼ばれる。もう少し気の利いた教科書では、ジャーティだとか、サブ・カーストの存在がほのめかされているのかもしれない。

 

1. カースト制の起源と概要

インダス文明が衰退した後の紀元前1500年頃に、インド亜大陸に侵入した白色人種のアーリア人は肌の黒い先住農耕民族を征服して「ダーサ」あるいは「ダスユ」と呼び、自らと先住民族とを肌の色に由来する「ヴァルナ(varna)」で区別した。(もっとも、アーリア系の人々はこの説を否定し、アーリア人ももともと土着だったと主張している。しかし、最近のDNA分析の結果では、アーリア人とヨーロッパ人種との差よりも、アーリア人とドラヴィダ人との差の方が大きいことが判明している。この事実は、アーリア人が西方から侵略してきたとする伝承を補強するものとなっている。そもそもが、アーリアという呼び方自体が、「高貴な人びと」を意味する自称である。後期ヴェーダ時代(紀元前1000600年頃)になると、彼らはガンガ河流域へと進出し、農耕社会を築き、部族を単位とした社会を構成するようになった。主として牛、羊、馬の牧畜をし、農耕では大麦の生産をした。牛がもっとも重要な財産であった。

しだいに混血が進んだこともあって、「ヴァルナ」は四階層の身分・階級を持つ四姓制になり、アーリア人の宗教だったバラモン教の法典による理論化を経てインド各地に浸透していく。この皮膚の色を区別基準とするというのは、『パガヴァッド・ギーター(Bhagavad Gita)』(神の詩)でクリシュナ神が「四階級から成るヴァルナ(色)は、内なる性格と外なる仕業を基礎にして創られた」としているところに由来している。しかし、クリシュナ自身がバラモンでもクシャトリアでもなく、近代のマトゥーラの近くの牧歌的な共同体に属していた。あるいは、「ヴァイシャ」という呼び名が職業と家系の如何にかかわらず地域の人々をすべて示していたように、誕生ではなく職業に依存していたと考えられる。「バラモン」も、もともと「ブラフマンを悟った人」、「最も高い神であるブラフマンと一つになった人」であり、「ブラフマンについての知識を持っていたか、その最高の知識のためにバラモン自身になった人」を意味した。しかし、やがて「バラモンの家族のなかで、バラモンの父に生まれた人」を意味するようになった。

そして、ヴェーダを口承する過程で、呪文が操作され、バラモンの支配権を確実にするためにいくつかの新しい詩が創作されて組み入れられた。すなわち、バラモン教の聖典『リグ・ヴェーダ』の中で、「バラモン」は創造主バルマの口から、「クシャトリア」は腕から、「ヴァイシャ」は腿から、「シュードラ」は足から生まれたと語る巨人の歌(Purusa-suktaは、確実に後日の添加であるとされる。そして、『マヌ聖伝書(法典)』は、紀元前2世紀から紀元後2世紀にかけてさまざまな法(律法経)を元に成立する。この中で、人間の行為と信仰生活のありとあらゆる局面を入念に詳説する一方で、バラモン階級の優位とすべての宗教上の儀式を実行する明白な権利を確立したのである。

 インドの四姓制の概要

ヴァルナ

Varna

職業

 

バラモン(ブラーミン)

Brahman

僧侶、司祭階層

 

再生族(dvija

クシャトリア

Kshatnya

王侯・武士階層

ヴァイシャ

Vaishya

平民(商人)階層

シュードラ

Shudra

(上位3カーストに対する)被征服民

一生族(ekaja

パンチャマ

Pancama

不可触民

 

 

バラモン教がインド原住民の民間信仰や習俗が結合し、4世紀頃にかけて「ヒンドゥー教(Hinduism)」へと変容していく。実際は、彼らの生活習慣、社会制度、世界観が一体となったもので、特定の教祖や体系化された教義は持たない。ちなみに、ヒンドゥー教という言葉はヨーロッパで作られた、インドの宗教・文化一般を指す便宜的な呼称で、インドにはこれに正確に対応する言葉は存在しない。また、「ヒンドゥー」という呼び方も、もともと古代ペルシアで「インダス川流域で対岸(シンドゥの反対側)に住む人々」を意味したのである。5世紀頃まで大きな勢力を持っていた仏教に対抗するために、反仏教側が糾合した社会システムだと見るほうが適切である。

上位の3ヴァルナは再生族(ドビジャ、dvija)と呼ばれ、これに属する男子は10歳前後にウパナヤナ(upanayana)という入門式を挙げ、アーリア社会の一員としてヴェーダの祭式に参加する資格が与えられる。これに対しシュードラは入門式を挙げることのできない一生族(エーカジャ、ekaja)とされ、再生族から宗教上はもちろん、社会上、経済上のさまざまな差別を受けることになった。

しかし、ヒンドゥー教が形成される過程で、ヴァルナはヴァイシャとシュードラを中心に職業ごとに細分化され、「生まれ、出自」の意味を持つジャーティ(jati)という社会集団が3,000以上形成されていく。6,000程度はあるという説もある。ジャーティは地位・特権・職業の世襲を原則とする排他的な集団であり、結婚や食事などに関する制限と自治機能を通じて閉鎖性を強めていった。ヴァルナを大枠、ジャーティを細部とする社会制度の形成といえる。インド社会を現実的に構成するのは、数え切れないほど細分化されたジャーティという世襲制度である。ジャーティは、サブ・カーストとも呼ばれている。そして、ヒンドゥー教の規範の中心である「浄−穢観」に基づいて、ヒンドゥー教徒内の社会的序列を定めた。さらには、動物界・植物界・鉱物界にもすべて浄−穢による序列化を進めていく。加えて、ヒンドゥー教では「死、産、血」そして「体からの分泌物」が穢れの源とされ、しかも次々に伝染するとされた。穢れると清めの儀式をやらねばならないのであるが、その儀式を司るのがバラモンであるとされた。儀式には費用がかかり、それがバラモンの生活を支えるという仕組みになっている。それらの儀式で蓄財したバラモンが、地主となり権力を握るという支配の仕組みが形成されたのである。そうした中で、5ヴァルナとしての不可触民(アスプリシュヤ)という階層が形成されるのである。歴史的には、紀元後100から300年頃成立したとされる『ヴィシュヌ法典』に出現している。さらに、56世紀に成立したとされる『カーティヤーヤナ法典』において、不可触民の規定がさらに明確になっていく。(小谷汪之『不可触民とカースト制度の歴史』明石書店(1996pp. 24-25)。さらに時代が下るとともに、下位の両ヴァルナと職業の関係に変化が生じ、ヴァイシャは商人階級のみを、シュードラは農民、牧者、手工業者など生産に従事する大衆を意味するようになる。こうした変化にともないシュードラに対する差別は緩和されていくが、不可触民への差別はむしろ強化された。

16世紀にインド西海岸を支配したポルトガル人が、ジャーティをcasta(家柄・血統の意味)と呼び、後から来たヨーロッパ人もまねたことから、インド社会の中にカーストという言葉が定着する。言い換えれば、ヴァルナとジャーティの組み合わせがカースト制と呼ばれているだけなのである。その意味では、昔も今もインドにはカースト制など存在していないのである。それよりも、カースト制という考え方自体が、外国人の価値観・宗教観・社会観からの見方であり、事実を正確に伝えているのではないことに問題がある。先のヴァルナの構図に従えば、最下層にあるのはシュードラということになるが、事実は異なる。シュードラは、まだ人間として扱われるのである。すなわち、ここまではカースト・ヒンドゥーとして扱われるのである。そして、これに入れない、見るのも、触るのも穢れる人びと、アウト・カーストが存在するのである。パンチャマ(pancama:第5のヴァルナに属する者を意味)とも、ヴァルナを持たない者とも呼ばれる。英語ではアンタッチャブルと訳される。日本語では、不可触民や不可触賤民と訳される。彼らは、3世紀頃から、ヒンドゥー教の教義の中心にある「浄−穢観」に基づいて、「穢れ」とされた職業を押し付けられるジャーティがグルーピングされて形成されたと言われている。ヴェーダには、パンジャマーやサンダラン、アバルナと記されている。彼ら自身は、サンスクリット語で困窮した人々とか、押しつぶされた人々とか、抑圧されている人々を意味するダリットと名乗っている。不可触民には、468のグループ(サブ・カースト)が存在し、彼らの代表的な種族であるマハールだとか、代表的なジャーティであるパリヤ(太鼓たたき)や、バンギー(人糞を処理する清掃人)と呼ばれることもある。

インドの人々は、苗字を聞けば、どの地域の出身でどの部族に属しているか、さらにどのジャーティに属しているかといった出自が、だいたい分かるという。北インド、すなわち、インド=アーリア文化圏では、名前、ミドルネーム=父親のファーストネーム、苗字で構成されている。その苗字は、先祖の名前か、地域の名前を名乗ることになっているので、容易に想像がつくのである。南インド、すなわち、ドラヴィダ文化圏には苗字がなく、村の名前、父の名前、自分の名前で構成され、自分の名前が呼び名になっている。そして、その名前は、誕生の日時や時刻などから占星術によって決めるのである。ここからも、出自が判明してしまうのである。私は、懇意になった出版社のマネージャーに幾人かの苗字をあげて出身地を尋ねてみたことがある。もちろん、ジャーティについて尋ねたわけではない。それは絶対にしてはならないタブーである。しかし、彼は実に的確に答えてくれた。

外国人である私に、正確にジャーティを把握することはできない。ただ、このようなことではないかと推測している。すなわち、ヒンドゥー教は、もっとも身分が高いジャーティは最高に清浄であり、下位に下がるに従って穢れも増すという考えをする。この「浄−穢観」は、業−輪廻の概念と一体を成す。つまり、現世の身分を決定するのは前世の行いであり、現在の自分に与えられたジャーティに没頭することで、来世のよりよいジャーティが約束されるという考えである。この考え方の枠組みによれば、下のジャーティがより上位のジャーティへ尽くすことこそが、自らを救済する道であるということになる。このことが、いわゆるカースト制度がなかなか消えない理由である。そして、もちろんコミュニティにおいても「浄−穢観」で規定されるサービス関係が基本となる。下位ジャーティは相対的に「不浄」とされ、彼らの触ったものも「不浄」とされる。したがって、食品や物品の授受、サービス関係に細かな規則を設けている。このように、表向きは身分差別を否定しているが、ジャーティは人々の生活に確実に密着しており、社会秩序を維持している。例えば、食べ物や飲料水は最も清浄でなければならないから、コックやボーイはジャーティが高いということになる。一方、食べ残しは穢れているから、それを片づける皿洗いや掃除人はジャーティが低いということになる。日本のレストランでは、ボーイが持ってきて、片づけるということが当たり前であるが、インドのレストランではまずありえないことである。そういった、「浄−穢観」を、一つ一つ適応してみるとおおよそのことがみえてくる。

 

2. カースト制の存廃をめぐる闘い

カースト制は、19世紀の英国植民地支配の下で、統治の道具として積極的に利用されたが、20世紀になるとカースト制への批判も強まった。すると英国政府は、後進カーストのための福祉政策を導入、1932年には多岐にわたる職能・宗教階層に対してグループ単位で選挙権と被選挙権を与えて国会・州議会に議員を送る分離独立選挙の制度を導入し、不可触民にも選挙参加を認めようとした。これら一連の地位向上/解放運動を指導したのは、アンベードカルであった。しかし、選挙参加は、独立運動の指導者ガンディーが、カースト制擁護者として強硬に反対したこともあり、実現しなかった。

そう、ガンディー自身はヴァルナをヴァイシャとするカースト・ヒンドゥー出身であり、カースト・ヒンドゥー社会を守るために、断固してカースト制廃止には反対したのである。それも、命がけでである。1932 8月にイギリス首相マクドナルドがコミュナル裁定を出し、不可触民への分離選挙が認めたことに対して、ガンディーは920日に分離選挙を撤回させるために「死に至る断食」を始めてしまうのである。ガンディーは、自らが独立運動の指導者として崇拝されていることを十分に自覚しており、その立場を利用して脅迫したのである。方便としてアウト・カーストの不可触制を廃止すると妥協し、アウト・カーストを第5番目のカースト・ヒンドゥーに引き上げるとしただけなのである。そして、ヒンドゥー教の輪廻転生の教えに従って、現世で苦しんでいる彼らは、来世において必ず良い生まれ変わりを迎えるとして、不可触民を「ハリジャン(神の子)」と呼ぼうとしたにすぎないのである。ガンディーは、カースト制を差別的な支配秩序としてではなく、社会の成員相互の協力関係をもとに一つに組織する原理とみなしていたのである。すなわち、ガンディーは、差別撤廃のみを叫んだのであり、アウト・カーストを解放しようとしたわけでなかったのである。したがって、ハリジャンという呼び方は、多くの不可触民から恩恵的呼称であるとして拒否され、ヒンドゥー教徒の一部で用いられたにすぎない。そして、永年抑圧されてきたアウト・カーストが、それによって解放されることがなかったのは、歴史が証明しているところである。ガンディーは、新しい民主主義国家を創造しようという時に、根本的にアウト・カーストを解放しようという主張を、もっと真摯に受けとめるべきだったのである。

不可触民を解放する運動を組織し、実践したのは、不可触民出身でありながら、稀有な幸運を超人的な努力でつかみ取った、アンベードカルだったのである。すなわち、アンベードカルは、1947年にネルー初代首相に見込まれて初代法務大臣に就任し、かつ憲法制定会議委員長を務める。そして、憲法草案を起草した際に、不可触民制廃止を盛り込み、法的にカースト制を消滅させることに成功した。さらに、指定カースト民(前不可触民)・指定部族(先住民族)・下級カーストなどの被差別民層に対して、教育・公的雇用・議会議席数の3つの分野で留保制度(Reservation system)を実施することを定めたのである。アンベードカルは、不可触民を「ダリット」と呼んだ。サンスクリット語で「砕かれた者」、「抑圧された者」という意味である。アンベードカルがあえてサンスクリット語での呼び方をしたのは、不可触民が聖なるサンスクリット語を学ぶことを許されていなかったからである。それはおろか、聖典の読経を聞くことすら許されておらず、もし聞いた場合は耳に鉛を流し込まれるとされていたからである。

 

3. 社会慣行として残る「カースト制」

インド憲法は、第17条において不可触民制を禁止し、カーストによる差別も禁止している。それ以外にも不可触民への保護条項、違反者への処罰等を含ませてもいる。

17

(不可触民制の廃止):不可触民制は廃止され、いかなる形式におけるその慣行も禁止される。不可触民制より生ずる無資格を強制する事は、法律により処罰される犯罪である。

341

(指定カースト)(1)大統領は、公示において州または連邦直轄地に関し、州においては当該州の知事と協議した後、カースト、人種またはトライブ若しくはカースト、人種またはトライブの内のグループを、この憲法にいう当該州または連邦直轄地における指定カーストとみなすことができる。

(2)

国会は、法律において、(1)項の規定に基づいて発せられる公示により規定される指定カーストの表につき、カースト、人種またはトライブ若しくはカースト、人種またはトライブ内のグループをこれに追加し、またはこれから削除することができる。この場合においては、前記の場合を除き、(1)項の規定に基づいて発せられる公示は、これに続き公示によって変更してはならない。

インド政府は、1935年のインド統治法以来の名称を踏襲して、ダリットを指定カースト(Scheduled Castes)と呼んでいる。法令の付表にサブ・カーストが登録(Scheduled)されている。その数は、全人口の20%から30%は存在していると言われている。1991年のセンサス・データに従うと138,223,277人、16.48%(ジャンム・カシミール州を除く)ということになっている。この数値は、彼らの多くが都市路上生活者に流れたり、彼らの使う言語が特殊なものであったり、識字率が低いことからみて、もう少し多いであろうことは予想される。ちなみに、指定カーストの比率が最も高いのがパンジャーブ州の28.3%で、最も低いのがミゾラム州の0.1%である。連邦直轄地ではデリーの19.1%が最も高く、ダドラ・ナガル・ハベリの2.0%が最も低い。最も指定カーストの比率が高い地区(日本では県に相当)は、ウェスト・ベンガル州Koch Bihar51.8%であり、最も低いのは、マニプール州Tamenglongとメガラヤ州West Khasi Hills0.0%となっている。(同様の文化的・経済的・社会的格差ないし差別の問題は、山岳地域や東北辺境地域などの民族問題として存在し、こちらは指定民族(Scheduled Tribes)と呼ばれている。)

また、Untouchability Offences Act1955)とProtection of Civil Rights Act1976)は、社会差別から彼らを守るよう、細かく規定している。1989年には、指定カースト/指定民族に対する虐待を防止し、この法に基づく犯罪を審理するための特別裁判所を設置し、虐待の被害者を救済することを目的として、「指定カースト及び指定民族(虐待atrocity防止)法」が制定されている。

しかし、インドの司法運営は実質的には上位カーストに支配されているため、機能していない。それ以前に、社会慣行として「カースト制」は根強く残っている。カースト制は、ジャーティで考えたほうが判りやすいと思う。ジャーティは、ヒンドゥー教徒が帰属するコミュニティ内での、日常生活における職業や役割、祭祀での役割を示した規範だからである。ジャーティは内婚集団であり、世襲制と婚姻によって継承されてきたと言われている。この内婚制度は現在でも厳格に守られている。デリーなどの大都市を歩くと、全く同じ物を売っている露天商が何人か並んで座っていることがある。あるいは、家具屋街とか金物屋街というように、同一の商品を造ったり扱ったりする、同業者街が形成されていることに気づく。少し郊外にゆくと、蛇使いとか、熊使いとか、土器造りといった同業者がコミュニティを形成しているのに出くわすことがある。彼らは、ジャーティを同じくする、言い換えれば親戚同士なのである。ジャーティは、このように日常的には職業別集団として存在している。そして、この職業は世襲制であり、そのジャーティに託された絶対的なものである。もちろん、転職は許されないし、他人の職業範囲を犯してもならないのである。したがって、1つの村落内に多数のジャーティが存在することになる。そして、それらジャーティ間に、微妙なサービス関係と階層関係が決まっている。

 もちろん、一つの村落内ですべての種類のジャーティが存在されていたわけではない。多くの場合、近隣の村落との間で補完しあう関係にあった。それらは、社会学者のワイザーが「ジャジマーニー(jajmani)制度」と呼ぶ分業関係で維持された。すなわち、原則的に現物やサービスの交換関係で補い、貨幣の媒介をほとんど必要としない自給自足的な生産活動で維持された。

 婚姻は、当然、両者のジャーティのバランスが問題とされる。実際に、インドの新聞の日曜版には、求婚覧が一大特集となるのが恒例となっており、姓名、年齢、身体的特徴、学歴、職業、年収などとならんで、出自すなわちジャーティが記されている。最近は、この覧がインターネット上にまで展開されている。このバランスを守らない結婚は許されず、逆にバランスある結婚がいかに難しいかを物語っている。結婚に際して、男性側のジャーティが高い場合は、バランスが少し崩れてもあまり問題視されない。しかし、女性のほうが高いということは絶対に許されない。もっとも、彼ら自身はそれぞれのコミュニティに属することができる。だが、生まれた子どもはどのコミュニティにも属することができない。すなわち、アウトカーストである。一般に、アウト・カーストの起源として、被征服種族が言われている。実は、それだけではないのである。

 都市部では新たな職業が発生したり、雇用を求めて流入した者が大量に存在し、旧来のサービス関係が崩れてきていると言われている。また、さすがのインドでも若年層を中心に宗教心が薄れつつあると言われている。ITなど従来には無かったような業種や、カースト・ヒンドゥーが従事したことがなかったような職種についたり、企業家として大成功を収めた者もいる。しかし、彼らが経済的に成功したからといって、自らの出身地に帰郷したとすれば、相変わらずダリットであることに変わりはない。故郷に錦を飾ることなどできないのである。16000万人いると推測されているダリットの多くは、公の場であからさまな区別をされたり、居住地が隔離されたりしたままである。結果、教育へのアクセスを奪われ、識字率は平均よりも断然低い。そして、劣悪な生活環境を永続的に強いられ続けている。抑圧に抗おうと立ち上がると、警察や上位カーストによる殺害・暴力・レイプを含む「制裁」を受けることもある。ダリットは、人間としては扱われないので、そのような行為も合理的に処理されてしまうのである

 

先進国からみれば、民主主義と相容れないカースト制が、いまだに存続している理由は、以下の3つにまとめられよう。

第1は、カースト制がヒンドゥー教と一体化してコミュニティでの社会規範になっており、多くの人々の常識になっていることである。

第2は、カースト制に備わっている社会安定機能である。輪廻転生や諦念という宗教的意識だけでなく、カースト制が揺らげば生活が危うくなるという現実がある。干ばつ等で食糧難となっても国土内での人口移動が少ないのも、社会安定機能の影響が大きいと言われる。

第3は、独立後のインドに政教分離が定着しなかったことである。ネルー首相は、政教分離を推進した。だが、国民会議派の内部では保守派が同首相に強く反発した上に、民族主義的原理運動を進めるRSS(民族奉仕団)を支持母体としたヒンドゥー原理主義政党のBJP(インド人民党)が勢力を伸ばしていったことから、政教分離は後退していった。

 

4. カースト制の変容

アウト・カースト=最下層階層という構図はだんだんに崩れてきてはいる。そして、タブーを破った結婚も数多くなったと言われている。そうした一端をなしているのが、下位ジャーティに対する積極的改善策(affirmative action)である。すなわち「結果の平等」を実現するためには、教育と就職と議会で「優先措置」をとることが必要だという考え方である。

これは、指定カースト(Scheduled Castes)や指定民族(Scheduled Tribes)、おもにシュードラの下層ジャーティである「後進階級」(backward classes)に対して、高等教育への入学枠や公務員の採用枠などを留保しておくというものである。すなわち、学校・大学への入学枠と公務員職の採用枠のうち約25%をダリットおよびアディヴァシス(先住民族)に留保することを保証している。なお、「後進階級」の地域格差が大きかったため、各州政府が独自に留保制度を制定することになった。この留保制度の下で被差別民層から大学への進学者が徐々に増え、やがて被差別民出身の知識階級も形成されるようになった。そして、1990年代になると、自由経済体制への転換や文化面の開放政策も相まって留保制度の効果が顕在化し、差別民出身者の上級公務員・弁護上・医師・教師が増えていった。公務員2,000万人のうち300万人超を被差別民出身者が占めるようにもなった。ジャーティを超えた人材の流動化が徐々に進み、ITサービス業など新しい産業の台頭をもたらした。下位ジャーティ出身の中間所得層も増えつつある。すなわち、カースト制が形骸化に向かい始めたからこそ、経済成長率も上向いてきたのである。また、カースト制の下で二重の差別を受けてきた女性の解放運動も進み、識字率上昇や上記職業への進出も目立つようになった。さらに外国製品と文化の本格的な流入がインド社会に衝撃を与え、カースト制と諸習慣に反発する人、疑問を持つ人が増えていった。しかし、下位のカースト・ヒンドゥーや指定カーストに漏れた下位ジャーティとの間の軋轢の原因ともなっている。このために、国立大学への入学枠を27%に引き上げようという政府案には、インド医学協会などの団体、企業家、商工会議所などが反対している。最近では、RSSVHP(世界ヒンドゥー協会、RSSから独立した組織)が、留保制度に不満を強める上位カーストの支持を背景に、「アーリア人もインドの先住民族」と訴え、ヒンドゥー伝統主義を強める方向への憲法改正を求めている。長期的にみれば、カースト制は形骸化に向かうのであろう。しかし、中期的にみれば、既得権益を守るための反動があるのだろう。

 不可触民の解放運動にも、21世紀に入って大きなうねりがでてきた。それは、NGOによる世界的な反差別/人権運動との連携である。そのために、近年のダリットによる人権活動は、主に『職業と世系による差別 (Discrimination based on work and descent) 』という表記を用いるようになってきている。20019月の初めに南アフリカのダーバンで国連の主導で開催されたWorld Conference Against Racism WCAR)には、いくつかのダリットのNGOが、ダリットに対する差別を含むカースト問題自体を、最終決議文のなかに盛り込もうと働きかけた。この試み自体は、インド政府やその他の意見と合意をみることができず、実現させることができなかった。

しかし、この会議にも参加していたNDHRCNational Dalit Human Rights Campaign)は、会議の後、ラジャースタン州における抗議行動計画を発表する。ラジャースタン州は、インドでもっともカースト制度が深く根付いている地域だからであった。その内容は、(1)ダリットの地位向上とともにダリットに対する意識の改善を図ること、(2)警察と政府役人たちに対し、民法や、いわゆるカースト保護法などの社会福祉法を教育させて、ダリットに対する態度を改善させること、(3)法律相談所(Social Justice Cells)を州内の各地区に設置し、ダリットに対する残虐行為と人権侵害を監視し、州政府と協力してそれらの事件を公の場で議論することであった。

 そのような結果、2002年の国連人種差別撤廃委員会における会合で、一般的勧告29『世系に基づく差別』が策定され、インドのカースト差別を含む差別が、国際人権法にいわれるところの人種差別の一つであることが明記された。現在、この差別を撤廃していくための原則と指針の作成が進んでいる。

 

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